高照神社

人間が神様として祀られている
神社は多いですよね。
戦国三英傑と呼ばれている
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の
三人もそれぞれ、
織田信長:建勲神社
豊臣秀吉:豊国神社
徳川家康:東照宮
に神として祀られていますね。
他にも平将門命が祀られている
神田明神や、陰陽師として有名な
安倍晴明が祀られている晴明神社など
数えきれないほどありますが、
弘前市の岩木山神社にほど近い場所にも
弘前藩4代藩主が神として祀られている
高照神社があります。
という訳で、『高照神社』へ行った時の
記録。

場所

初代藩主ではなく4代藩主?

『高照神社』に祀られているのは
弘前藩初代藩主の為信ではなく
4代藩主信政です。
初代為信から12代承昭までの
藩主の内、神として祀られたのは
4代藩主の信政一人だけです。
信政が藩主の中で唯一神として
祀られた背景としては、
信政は名君と言われ、弘前藩の
『中興の祖』とされていること、
さらには、吉川神道の創始者
吉川惟足に師事し、『高照霊社』の
霊社号を授けられ、また最高奥秘の
四重奥秘『神籬磐境之大事』も
授けられるまでに極めていたのが
大きく起因していると思います。

因みに明治になってからですが
初代為信も『高照神社』に
津軽為信命として合祀されてます。

吉川神道?

日本の宗教と言えば神道です。
他の宗教と違い、神道というのは
教祖や開祖がいない宗教です。
八百万の神と呼ばれるように
祀られている神様も多種多様です。
俗に言う、民族宗教です。
そんな神道ですが、流派があるのを
ご存じですか?
ここで書いている流派とは、
神道13派とは別です。
神道13派はここで書いている流派としては
教派神道として一括りです。
ちなみに教派は24派に分別されています。
神道の流派としては伊勢神道、御流神道、
山王神道、など13流派に分けられ、
その中の一つに、吉川神道というのが
あります。
4代藩主信政は吉川神道の創始者である
吉川惟足に師事しており卒去後、遺命により
吉川神道2代の吉川従長を斎主とした
神葬祭が執り行われ、高岡の地に
埋葬されました。
実際は、従長の代理の北川武左衛門正種が
執り行ったようですが。
その地に、5代藩主信寿が廟所を建立し、
その後本殿や拝殿が建立され現在の
『高照神社』へと繋がっています。
そういった経緯から『高照神社』の
社殿構成も吉川神道に基づいた全国的に
珍しい物であり、当時のまま現存するのは
『高照神社』だけらしいです。

境内

ざっくり境内を写真で紹介

宝物殿手前の橋

四の鳥居と随神門

拝殿

しだれ桜の古木

廟所

本殿の後ろに、廟所への小路が続きます。

小路を進むと廟所門と廟所拝殿が現れます。

本殿背後から廟所までは小路が
整備されていますが、小路の
両脇は普通に山の中です。
ということで、熊も普通に
出没しますので注意が
必要です。

馬場

高照神社境内には馬場があります。
綺麗に整備されていて、
流鏑馬・笠懸・馬上武芸などが
行われたりしています。
2024年は6/23(日)に行われた
ようなのですが観に行けてません。

本殿から廟所への小路と並行するように
馬場が設けられています。
肝心の馬場の写真はないですが何か?

高照神社を守ろう

国指定重要文化財の指定を
受けている『高照神社』は、
約300年に渡り高岡集落の
人々によって守り続けられて
来ましたが、老朽化、豪雪、
神社組織の高齢化などにより
維持が困難になっているようです。
弘前の大事な文化財の保護に
協力できる方は是非お願いします。
高照神社運営検討委員会

岩木山神社参拝の道

『高照神社』のすぐ近くには
『岩木山神社』があります。

実は『岩木山神社』と『高照神社』は
『岩木山神社参拝の道』の
一部として散策道で繋がっています。
そのうち、天気の良い日にゆっくりと
時間をかけて歩いてみたいと思います。
その際は熊対策をしっかりとし、
エンジニアブーツ以外で行こうと
思います。

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